組子細工は建具の装飾技術として、単体で用いられることが多いですが、下地に和紙をもちいることで、組子細工に「色どり」を添える装飾をあしらいました。
建具と和紙は古来から相性がよく、和紙は襖や障子などに用いられてきました。組子細工は、障子戸の骨組みから発展・発達した歴史もあり、和紙と組み合わせることで、日本古来からの建具様式を使用した、新しい建具となっております。
本建具は季節や用途に合わせ、竹はマグネットで着脱可能になっています。扉部分には枠をなくし、出来るだけ組子を全面にとり襖紙との取り合いもすっきり納めた。斬新なデザイン色彩の中にも日本の心”和(なごみ)”を感じられるように仕上げました。
五箇山和紙コラボ商品
前田利長公に献上された名品百年和紙
世界遺産合掌造りの里として有名な五箇山は、山間部五つの谷からなる地として古くから独自の文化や産業が根付いている地域です。
その一つに五箇山和紙と呼ばれる和紙の生産があり、その歴史は古く1200年前の平安時代に越中国から大和朝廷へ納められた記録が残っております。
漂白剤等の薬品は一切使用せず、「雪さらし」と呼ばれる天然技法で紙を白くするため、普通のパルプ紙と違い百年たっても黄ばむことがない鮮やかな白さが際立ちます。
加賀藩二代藩主前田利長公に献上された記録が残っており、江戸時代には加賀藩の重要な産業として手厚く保護され、現在では国の伝統工芸品に指定され、五箇山和紙ブランドとして作り続けられています。
五箇山和紙の歴史
そもそも五箇山でいつ頃から紙漉きが始まったかは定かではありません。古くは藩政時代加賀百万石の領地で、五箇山和紙に関する古文書や記録文献が残っており、トチやケヤキの大木をくり抜いた紙漉き舟や楮剥皮用のたくり舟、楮煮用灰箱など、極めて原始的な道具が残っている点はほとんど全国的にその例がありません。したがって、奈良や京都から直接伝えられた和紙の技法が山村の人々によって独自の和紙文化に形成されたものと考察されます。藩政時代の五箇山和紙は、天正十三年(1585年)頃は五箇山の産物である生糸とともに年貢として納められていました。