「建具技術」として発達した日本の美術細工

 日本文化美術として諸外国から着目されたものには、仏教美術(仏像等)、彫刻、浮世絵、焼き物などがあり、いずれも芸術性が高く絵画にも通じる「主題」が存在するものですが、「組子細工」は日本建築の内装において必須要素の一つであり、建具技術の一つとして発達したものであるため当時の組子細工には作品という概念がなく、明治維新後も美術品としては埋もれてしまった側面があります。

現代アートに通じる組子細工

 組子細工の特徴は、「連続した幾何学模様」にあります。
日本には似たようなものに「和柄」という連続した模様様式が着物の生地等にありますが、色を使わず、木だけで組み上げる幾何学模様は、コンピューターで描く規則正しいデザイン模様を彷彿させます。
「シンプルだからこそ美しい。」
それが組子細工の魅力でもあります。

組子細工の歴史

 日本で最も古い組子細工は、飛鳥時代に建立された法隆寺の高欄と言われています。
高蘭とは別名欄干ともいい、いわゆる「手すり」であり、当時の組子細工は実用性を重視したものであったと推測されます。
美術性の高い組子細工は、室町時代になってからと言われています。
その要因に障子戸の普及があげられます。
障子戸は、外と中を区切っても、外の明かりを家の中に取り込めるように考案された、木の骨組みに和紙を貼り付けて扉とする建具です。平安時代からありましたが、室町時代に普及したとみられ、紙であるが故脆い障子戸に対し、強度と明かりを取り込むための隙間をとるための骨組みとして、組子細工が適していた側面がありました。
やがて、装飾性の高い幾何学模様の組子細工が生み出され、江戸時代には、現在の様式が確立したといわれています。

木を読み変形を予測して加工する

 組子細工は規則正しい幾何学模様であるため、一見機械のほうが精密に作れる印象を受けますが、実際は人の手でなければ作ることができません。それは素材が「木」であるためです。
木は植物であり、伐採した後も「呼吸」をしています。湿度の高い時には水分を吸収し、乾燥しているときには水分を放出する特性があり、気候や季節、歳月によって変形するのが木という素材です。
形状が変化しない素材であれば、機械でも組子細工を作ることができるかもしれません。しかし「木」という素材を使う以上、将来どのように変形するかを見極め予測し、最適な形状に組み込むには、職人の経験がなくては実現ができないのです。

千年の経験が受け継がれた「河島組子」

 前述のとおり、組子細工は経験がものをいう加工技術ですが、木を見極めるだけでなく、「木を削り加工する技術」も重要です。
木というものは、図面通りに加工しても狂いが生じます。それを補正するのが「職人の経験」です。
何千、何万の加工経験からカンナ一削り分の厚さを見極め、図面を高精度で具現化する術を体得した建具師のみができる技が組子細工です。
その技は、人の一生分の経験だけでは会得することが不可能であり、先人が木と正面から向き合い師匠から弟子へ受け継ぎ蓄積されていった千年の経験があって初めて生み出すことができる技術であり、それこそが「河島組子」の神髄です。

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